果てしなきスカーレット酷評 なんで見るも無残な出来になってしまったのか?

細田守監督の「果てしなきスカーレット」は2025年11月21日の公開当初から酷評の嵐です。しかも興行的に大爆死しそうなんです。公開4日目で興収2億4000万円という低さ。本作品は正月興行用の映画なんですが、この興収では年を越せずに、12月中に打ち切りも噂されます。
せっかく金曜ロードショーで細田守監督作品特集を組んで盛り上げようとしたらこの成績です。

果てしなきスカーレット酷評 サブスクでは細田守作品が無料配信 果てしなきスカーレットの宣伝のため?

しかしこの不入りが影響したのかサブスクで配信されている細田作品が見放題になっています。確かアマゾンプライムでは購入/レンタルで視聴料が発生すると記憶していますが、見放題になっています。やはりここは無料で視聴してもらって「果てしなきスカーレット」の観客動員につなげていこうという戦略でしょうか。
U-nextでも細田作品は前はポイントを使わなきゃならないのに、今は無料(もっとも月額視聴料がいりますがね)で視聴できますね。ネットフリックスでは細田作品が軒並み映画TOP10入りしている人気なのになぜこの不入り?

この金曜ロードショーを拡大したようなサブスクの無料で観る細田守監督特集は今のうちかもしれません。この無料視聴でも観客動員数が増えなきゃ、また有料に戻るかもしれません。今のうちに細田作品の制覇をした方がいいようです。

果てしなきスカーレット酷評 酷評だとかえって興味を引く?これも宣伝の戦略なのか?

さて、こういう酷評の嵐だとどんなにひどいか観たくなりました。酷評とはいっても一部では高評価もあります。高評価は細田守ファンであろうと思います。いや酷評する中にも細田ファンがいるでしょう。細田作品の対する期待度の高さからちょっとくらい期待外れも落差が激しくてけなす人がぐんと増えたと思います。

酷評は細田監督の期待値と作品の出来との落差が大きいからと推測します。私はアニメオタクでも細田監督のファンでもありません。酷評とは言ってもそんなに酷くないんじゃないか、全然期待していない当方ならそこそこ面白いんじゃないかと推測しました。

最初から「果てしなきスカーレット」を目当てに行ったわけでなく、予想外の道路の渋滞で本命の作品の上映時間に間にあいませんでした。ふと上映作品の上映時刻表を見たら、これからの時間で次に早く上映されるのが、この「果てしなきスカーレット」だったのです。ネットで酷評だが話題の作品ですのでこれはもしかしたら映画の神様のありがたき啓示と捉えこれを鑑賞することになりました。

しかしまあ日曜日だというのに、私を含めて観客が6人しかいません。大爆死するのではないかという懸念を実感しました。
この分では酷評も正しいのかもしれないという不安が沸き起こりました。

果てしなきスカーレット酷評 やっぱり酷かった?スカーレットの相手役に日本人青年にしたのがダメ・・・だと思う。

さてここからはネタバレも話さないとレビューができませんので、未見の方はこの先はご注意です。

・・・・・・鑑賞した結果、やっぱり良くない出来でした。
私がこの作品がダメだと思うのは、スカーレットの相手役を日本人青年の聖にしたことです。
今回は16世紀のデンマークとしているのが、細田監督には珍しいシチュエーションだそうですね。
私は細田作品は「バケモノの子」(2015年)「未来のミライ」(2018年)「竜とそばかす姫」(2021年)しか見たことがないので、それが珍しいとは気が付きませんでした。

スカーレットの復讐話に現代の日本人青年が絡むというのは、昔のヨーロッパの話だと観客にはなかなか話に入りづらいと考えたんでしょうか。観客が共感を得るように日本人を出してきたんでしょうか。でも我々日本人というのは、日本人が全く出てこない西洋の昔話の映画も抵抗なく見ていたりするのだから、そういう気遣いはいらないんじゃない、と思いますね。

そういう処置をとっても聖の行動が異常なくらい純朴で優しいのはちょっと共感しづらいです。敵に対しても無防備でけがの手当てをしたりする理想主義がピュアすぎて、もう少しリアルに描いてほしいと思いましたね。

しかし、復讐心に燃えるスカーレットと他人には優しい聖がお互いの気持ちをわかり合うというのが、この映画の肝ですから最初は聖がこういう理想に凝り固まって生の人間らしさを感じられないというのは細田監督の狙いと思います。ヒロインの復讐心も熱すぎてちょっと引いてしまうのもそれを狙ったからでしょう。

このため映画を観終わるまで聖が出ているのはとても違和感がありまして、これが最後まで拭えません。
なにしろ突然、渋谷の広場で聖とスカーレットが踊る場面はなんだこりゃ、としか思えません。この暗く重い話にこの能天気なミュージカル場面を挿入するとは、もう細田監督は頭がおかしくなったのかと思えました。いらんでしょう、これ。ラストでスカーレットがちょっと歌う場面がありますからこれは伏線のつもりかなと思いましたが、それならまったく効果がありません。

日本人青年を出したことで渋谷のミュージカルを、ということになると日本人を出したことは明らかに失敗です。スカーレットの相手役は彼女に信頼を置いている従者にしておくべきでした。そしたら聖のキャラが空虚でなく、けったいなミュージカルを出すこともなかったでしょう。

またスカーレットが死の国に落ちると復讐相手も死の国にいるということは復讐の意味がなくなってしまいます。そのうえいざ復讐するときになって、父親から彼を許せという言葉を聞いて思い直すとくだりがあります。
それがすべて夢で、スカーレットは長い昏睡状態から目覚めると王女として国民に争いのない世界をめざすと言うまでに改心するのだが、これが薄っぺらいのです。復讐心に燃えた彼女の心を溶かす父親の言葉があっても旅を共にした聖の影響を受けたとしてもこれが表面的に見えるほどに心に突き刺さりません。もっと葛藤がないと深みがないのです。

果てしなきスカーレット酷評ネタバレ 映画における禁じ手を使ってはいけません

映画で一番やってはいけない禁じ手、夢落ちもいけません。あれはすべて夢だったというとそれまでの話が全部なかったことになってしまい何のためにここまでの話を進めていたのかわかりません。第一、これがスカーレットの夢だとしたら渋谷のミュージカルがまったく意味のないものになります。16世紀のスカーレットが現代日本の渋谷なんてまったく知らないことですし、夢に出てくるわけがないでしょう。

私としては細田ファンでもないのですが、酷評のあらしのなかそんなこともないでしょうと私は細田監督を庇うつもりで鑑賞しました。しかし、これは・・・擁護しようもないほどの無残さでした。しかし細田監督もネットでのこの酷評は知らないはずがないでしょう。とてもがっくりしているのでしょう。それを思うと気の毒なのですが、こういうことも人気のある作家にあることでしょう。それだけ細田監督の期待値が高かったのですよ。
また人気があることで独りよがりの作品になりがちなのもわかります。人気を得たことで周囲はイエスマンばかりで監督の意見に苦言を呈する人がいなくなったのでしょう。これを教訓として次回作で挽回することを願っています。

バケモノの子声優ひどい!アニメのキャスティングは声優よりも俳優がいいのか?
※この記事はネタバレで記述しています。まだご覧になっていない方はご遠慮ください。「バケモノの子」は2015年の作品です。細田守監督はこの作品について語っているものを要約します。着想のきっかけは3年前の前作「おおかみこどもの雨と雪」の公開後、...

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